2025年01月21日 [横浜の通船・ラインボート ]
横浜の発展を支えた貨物列車の軌跡【山下臨港線プロムナード】
はじめに
いつもポートサービスのブログを読んでくださり、ありがとうございます。ポートサービスの大桟橋営業所からも程近い山下公園。春から夏にかけては季節の花が咲き誇り、秋には銀杏並木、冬はイルミネーション…と、その時々の美しさで道ゆく人の目を楽しませてくれます。入出港する客船やポートサービスの交通船もたくさん見ることができるフォトスポットでもあります。
今回はそんな美しい山下公園の上を、貨物列車が走っていた?という意外な歴史を紹介します。
▲山下公園側から山下臨港線プロムナードを臨む
今も残る貨物線の跡地 「山下臨港線プロムナード」とは
山下臨港線プロムナードは、横浜市中区の新港地区と山下公園を結ぶ遊歩道です。このプロムナードは2002年に完成し、貨物専用の鉄道 山下臨港線の跡地を利用して作られています。新港地区には赤レンガ倉庫やハンマーヘッドといった観光名所があり、景観に配慮した開発が進められてきました。貨物線の跡地(高架)を利用していることから、赤レンガ倉庫や象の鼻、そして山下公園を一望できる絶好の場所となっています。
▲写真右手に映るのはクイーンの塔として親しまれている横浜税関本館▲象の鼻パークは横浜の歴史に触れられる遺構が数多く残る。左脇の階段が遊歩道へと続く。▲高架橋からはたくさんの船を眺めることができる
経済の発展を支えた山下臨港線とは?
山下臨港線は、1965年に旧国鉄東海道線の支線として開通した貨物専用の鉄道です。横浜港駅(新港埠頭)から山下埠頭駅を結び、外国から輸入された貨物を首都圏へ運ぶための重要な交通手段でした。国内への物流を支える役割を果たし、横浜港周辺の発展を担っていました。
▲1961年工事着手、1965年開通
発展と衰退
戦後復興期から高度経済成長期にかけて、貨物列車は大量輸送の主要な手段でした。しかし、道路網の発展やトラックの性能向上に伴い、次第に陸上輸送の主役は貨物列車からトラックへとシフトしていきました。
また、太平洋戦争によって荒廃した横浜市の中心部の再生・活性化を図るための都市計画事業も、貨物列車の衰退に拍車をかけます。都市計画によって造成されたみなとみらい地区や本牧埠頭・大黒埠頭の発展により、山下埠頭の重要度は低下。一部施設が移転するまでの輸送を除き、1986年に山下臨港線は廃線となりました。
横浜市六大事業とは、太平洋戦争により荒廃した横浜市の中心部の再生と活性化を目的に始まった大規模な都市計画の呼称。具体的にいうと、都市部を強化するためのみなとみらい地区の開発、混雑の緩和と新しい横浜のシンボルを形成する横浜ブリッジの建設、港北ニュータウンの造成などが含まれます。
廃線と現在
廃線後、長い間放置されていた山下臨港線ですが、地域住民から景観復活を求める声が高まりました。そのため、公園内にあった高架部分は撤去され、新港地区の新港橋梁から山下公園手前の高架までを遊歩道として整備することになりました。2002年に山下臨港線プロムナードとして生まれ変わり、現在では横浜の主要観光地を結ぶ遊歩道として愛されています。
▲赤レンガ倉庫近くの遊歩道に残る線路跡
おわりに
赤レンガ倉庫や象の鼻など、新たな横浜の魅力を提供してくれる山下臨港線プロムナード。実際に山下公園付近を散策してみると、橋脚の古さに貨物輸送の歴史を感じることができます。おでかけの際には、横浜の歴史と未来をつなぐ魅力を、ぜひ体感してみてください。今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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参考文献
Wikipedia 山下臨港線プロムナード
Wikipedia 横浜市六大事業
廃線探索 山下臨港線