2023年01月24日 [船の豆知識]
横浜・山下公園は○○でできている!写真で振り返る今と昔【復興の象徴】
はじめに
横浜を訪れたことがある方なら、一度は立ち寄ったことがあるであろう山下公園✨ポートサービスの観光船マリーンルージュの乗り場(現在工事中)もあり、海から横浜観光を楽しめる場所としても人気です。そんな山下公園ですが、過去を見ていくと意外な歴史がありました👀✨
まずは山下公園について紹介します💁♀️
山下公園 沈床花壇から氷川丸を臨む
30秒でわかる山下公園
神奈川県横浜市中区山下町にある、海を臨む公園。園内にはバラ園もあり、市民の憩いの場所として親しまれています😊🌹
公園前に係留された氷川丸(貨客船)は、博物館船として公開。船がまるごと博物館として展示されているのは全国でもとても珍しいんですよ🎵また、ポートサービスの観光船マリーンルージュやシーバスの船着き場(2023年1月現在 改装工事中)もあります。見て楽しい、乗って楽しい…そんな海と船をまるごと楽しめる公園です😉
山下公園ができるまで
歴史は遡って、1923年。関東をかつてない大地震が襲います。関東大震災で壊滅的な被害を受けた横浜の市街地。見るも無残にがれきが積み重なりました。※写真はイメージです
そのがれきの処理するために処分地として指定されたのが、のちの山下公園。つまり、がれきで埋め立てられた山下公園は復興の象徴でもあるんです。
そして、災害時の避難所としての役割も担い、1930年に日本初の臨海公園『山下公園』が完成しました。現在ではどの沿岸都市でも公園があるのは当たり前になっていますが、山下公園が初なんですね。なんだか誇らしいです〜🤗✨
写真上右 1930年代
写真中央 1980年代
写真下 2020年代
山下公園の今と昔
❖むかし❖
1859年7月1日(安政6年6月2日)に開港した横浜港。外国との貿易が始まると、現在の山下町にあたる山下居留地の海岸部は、居留外国人向けのクラブやホテルなどが建ち並びました。沿岸部は散歩道(現在の海岸通り付近)として整備され、近代化の歴史がスタートします。また、関東大震災よりも前に、この海岸通り付近の沿岸部を埋め立てる計画が浮上していました。
❖いま❖
かつて外国人居留地として栄えた海岸通りの散歩道。ショップや飲食店が立ち並ぶ海岸通りは、今も海と街、人々をつなぐ大切な場所です。開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地(錨をおろして船が停泊する場所)になっていました。※1枚目の写真参照
また、マリンタワー、横浜中華街など有名観光スポットが隣接し、横浜観光の中心地として賑わっています。
山下公園近くに残る、震災遺構『旧横浜居留地48番館』
おわりに
今では人気観光地・横浜の海の玄関口として賑わう山下公園。建設の裏には悲しい歴史と復興を願う前向きな気持ちがありました✨歴史に思いを馳せて散策したら、いつもと違う山下公園が楽しめそうですね🎵
今回も最後まで読んでくださりありがとうございました🎵では次回のブログもお楽しみに😊👍
資料引用
山下公園の歴史 | ハマフェス Y164
横浜都市発展祈念館
山下公園
株式会社ポートサービス 発行 『港の鼓動を感じて~創立30周年記念誌~』
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